こんにちは

こんにちは

2015-11-04

父逝く

【双子 2歳9ヶ月】
 
 
 
こんばんは~
 
 
久しぶりの更新になりますが、皆様お元気ですか?
 
おかわりはありませんか?


私?

元気です!双子も!主人も!聞いてない?
 
 
 
まずは更新のない日も応援クリックやメッセージ、コメントくださった皆様
 
ブログを覗きに遊びに来てくださった皆様、

ふらりと立ち寄ったら、なんか気まずい雰囲気だった皆様
 
本当に本当に毎日ありがとうございました。
 
頂いたコメントも返す言葉見つからずそのままにしてしまっていること
 
申し訳ありません。でも、とても嬉しかったです。
 
 
 

 
 
私ごとですが、父が先月他界しました。



前回記事で消化しきれていない。と書きましたが、

日に日にいろいろと思い出が蘇ってくるもので、やっぱり思い出すと所構わず

涙が流れてくるものです。


このブログで知るというご近所さんがあってはならないな~という思いもあったのですが


先日1番近くの大親友から連絡がきてまた号泣し

一区切り自分の中でつけました。



友達のお父さんってそんなに関わりありますか?

我が家の父はとんでもなく関わっている人でした。

なので友人から父の思い出話がでるとやっぱり嬉しいし、

よくやっていたなぁと思う位子どもの行事に関わっていて感心してしまいます。




双子が生まれてからは1年に1度20日間くらい滞在していましたが

年々父は弱っていました。

けれどもはっきりとした余命宣告なんぞは受けておらず、そもそも病院行ってない。

本当に突然逝ってしまいました。

あんなにあっけなく逝くとは。

父らしくない感じです。




とっても子どもっぽい人で、寂しがり屋でしつこい。

普通に話していてもぎゃーぎゃーうるさくて落ち着きがない。

私の結婚式ではまさかの大号泣ではじめて父と会った友達の中で私の結婚式といえば父号泣。

かっこつけで、曲がったことが嫌い。一途で不器用。

とっても厳しい人で、とにかく威圧されてる感満載の毎日。

喧嘩もいっぱいしました。父の胸ぐら掴んだことも・・・(-。-;ひぇーヤンキーじゃないよ。


高校生の時門限は17時。えー!?授業終わるの15時半で

1時間自転車漕いで行ってたんですけどー!むりむりー!

たまたま電話かけてきた男友達をしゃくりあげたり(←意味わかる?)

口が悪く怖いイメージですが、24時間TVで子ども達がみんなで踊っている姿を見るだけで

娘と孫の前で大号泣。そんな姿卑怯すぎるーーー!


本当にもう嫌だ。離れたいと思ったことは多々あるのですが

どうしてかみんながいる狭い居間が大好きで

ぎゅーぎゅーでそこにいる。

朝ご飯も夜ご飯もいつも一緒で、尋問のように1日のことを聞かれるも

ついつい喋ってしまう。それに喋りたかった。

思春期の頃、書道で好きな言葉を書いてコンクールにだしますと言われ

「自由奔放」と書いて入賞w 父にあてつけたものでした。

キャンプもいっぱい行きましたし、旅行も行きました。

いつも父の友達家族と一緒で大人数。それはそれは楽しかったです。

特にサバイバルが身についているわけでもなんでもないですが、とにかくよく笑ってました。

それにいつも人が集まる家で、宴会する家でもありました。

なので朝、家族+おっちゃん達と一緒に朝ご飯食べる日も多かったです。

よくまぁ母がご飯作っていたこと・・(; ̄ェ ̄)母、基本料理苦手ですw

父のことを聞かれれば、良くも悪くもポンポンどんな人だったか話せるのは

常に一緒にいて話をする家族だったから 







当日私は娘達を寝かしつけてそのまま自分も20時半には寝ました。

いつも携帯は夜サイレントかリビングに置きっぱなしで

夜中義母に起こされました。

義母が「落ち着いて聞いてね!・・・・・・・・・・」


え?


「今夜がヤマということらしいの・・・・」


今夜が山?


まじですか。


入院もしていなければ、変わったことも何もない。

義両親はただただ驚いていて、毎年帰省してこっちへ帰るたびに広島のみんなの様子を

伝えていたのですが、そんなに体調悪かったの!?えええ!?

って感じで。

姉に折り返ししたら義兄がでて状況を聞いて

だいたい23時半くらいだったかな?


それから連絡なく2時半、状況知りたくてこちらから姉にメール

すぐさま折り返しがきて、父が逝ったことを知りました。

亡くなったのは私がメールした直後だったようでした。

嫁にでて、東京にきてから「あと両親に会えるのは何回だろう?」とか

「死に目には会えないだろう」とかなんとなく考えていましたが、

本当に最期に立ち会えなかったし、結婚してから会ったのも両手の数くらいでした。


これからだったのに、なぁ~


来年には1人で2人連れて行けるだろうし

もっと広島行くはずだったんだけどなぁ。


結婚してから、もうこれが最期かもしれない!

と腹をくくっていたこと良かったかもしれません。


今年は特に

本当にもう最期かもしれないと思って

1度軽くバイバーイをしたものの

再度戻って「お母さんを頼むよ!」って言えたことが救いです。


いつも別れ際泣いてばかりの父でした。


私も同じく泣いてばかりの娘でした。

そして空港までの車、もらい泣きの姉でした。


いい家族でした^^









おつかれさま

 


お父さん ありがとう




 

 
 
 
 
 
 父が亡くなった連絡があってから始発までの時間
 
眠れるわけもなく、積木をしていました。
 
新幹線の中でずっと子守唄を聴いて、わらべうたを歌って過ごしました。
 
だいたい泣いていたので、周りの人はきっとホラーだったにちがいない・・・
 
 
2人の為と覚えた子守唄もわらべうたも、集めた積木も
 
結局は自分が1番癒されるものとなっちゃいました。
 
 
 
あは! 
 
 
 
 
 

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